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吉野川分水の支線水路の改修工事に伴う橿原考古学研究所の発掘調査で、飛鳥時代の砂利敷き石敷きが検出されました。
場所は、飛鳥寺の西門跡の西約100mの地点で、飛鳥寺南方遺跡・飛鳥寺西方遺跡の西側にあたります。
- 現場周辺には駐車場がありません。必ず公共交通機関をご利用ください。
- 受付・資料配付場所は、牽牛子塚古墳現地ではないそうです。直接古墳に行っても見学は出来ないようです。
- 飛鳥駅からの案内があるようですので、順路に従って進んで行って下さい。
現地説明会の内容に関しては、報道などでご確認ください。
また、飛鳥遊訪マガジンでも、牽牛子塚古墳に関して特別寄稿がある予定ですので、お楽しみにお待ちください♪
日 時 : 平成22年4月17日(土) (小雨決行)
説明は 1:30分~ 1回行われます。
場 所 : 発掘調査現場(地図)
アクセス: 近鉄 大和西大寺駅北口 から東へ徒歩約30分
または、JR 奈良駅行きバス 『平城宮跡』下車南へ徒歩10分
報告者 : 都城発掘調査部 考古第一研究室 研究員 国武 貞克氏
ご注意 : 駐車場がありません。近隣のご迷惑になる車での来場はお止めください。
先日の飛鳥遊訪マガジンでも発掘情報としてお知らせしました飛鳥寺南で行われていた発掘調査の現地説明会が開催されます。
現場からは、石組溝や石敷き広場とその附属施設などが検出されているようです。
「飛鳥京跡第164次発掘調査 現地説明会」
奈良県立橿原考古学研究所
【日 時】 2月14日(日) 10時30分~15時30分(説明随時、小雨決行)
【場 所】 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥
【内 容】 飛鳥京跡の外郭北部を調査し、飛鳥時代後半の石組溝や飛鳥寺南の石敷広場とその付属施設、石敷広場東端の石組溝の延長とそれに平行する掘立柱列を検出。
【交 通】 ・近鉄橿原神宮前駅東口2番のりばから
奈良交通バス
「23 飛鳥駅(明日香小山・明日香資料館・石舞台)」行き
(9時~14時の毎時37分出発、所要時間22分)
・近鉄飛鳥駅から 奈良交通バス
発掘現場付近1
発掘現場付近2
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「平城第446次発掘調査(平城宮東院地区) 」
日 時 平成22年2月20日(土)
説明は 午後1時30分~ 1回 ※小雨決行
場 所 発掘調査現場
http://www.nabunken.go.jp/
報告者 都城発掘調査部 遺構研究室 研究員 鈴木智大氏
考古第一研究室 研究員 国武貞克氏
甘樫丘東麓遺跡は、蘇我氏の邸宅だったのでしょうか?
今回の発掘調査では、高さ最大1mの石垣が、過去の検出分を合わせて全長34m以上続いていることが分かりました。(今回の調査では、19m)
窪地(幅約8メートル・深さ1.2m以上の谷地形)の東斜面の途中から、一辺20~40cmの石を貼り付けるように積み上げているようです。斜面の傾斜角は、約50度だと伝えられています。
石垣は、北西・南東方向に造られていますが、一直線ではなく、今回の調査区では、1.6m分直角に北東に折れる部分がありました。その曲がった付近の石垣側面には、階段状に並べた石もあったようです。
また、石垣の最下段には、排水口と思われる石組みもあったそうですが、報道写真では充分に確認できませんでした。土砂崩れの対策として、今に繋がる技術なのかと興味が湧きましたが、現地で確認する以外にはなさそうです。このような技術は、当時は優れたのもであったのかも知れません。そこには、渡来系技術者の存在も考えられ、彼等を支配下においていた蘇我氏ならではの施設であったかも知れませんね。
石垣は、防御の為とするには低い印象がありますが、谷地形の下から見ると、高さを感じるのかも知れません。これも、実際に見ないと分からないように思います。また、石垣の上の平坦面には、柵や塀のような物があったのでしょうか。「城柵(きかき)」と日本書紀に書かれた施設が頭に浮かびます。
出土した土器から、これらの遺構は7世紀前半から中頃に築かれたものと推測されています。まさに蘇我氏の時代です。
日本書紀に書かれる、皇極3年(644)11月条、『蘇我大臣蝦夷と子の入鹿臣は、家を甘檮丘に並べ建て、大臣の家を上の宮門、入鹿の家を谷の宮門とよんだ。また、その男女を王子とよんだ。家の外には城柵を造り、門のわきには兵庫を造り、門ごとに水をみたした舟一つと木鉤数十本とを置いて火災に備え、力の強い男に武器をもたせていつも家を守らせた。』
「家の外には城柵を造り・・・」発見された石垣は、この城柵を支える基礎部分なのでしょうか、あるいはこの石垣を「城柵」と呼んだのでしょうか。木で造った柵列の柱穴などは検出されていないようです。
状況証拠は、ますます蘇我氏邸宅跡を指し示しているように思われます。もっとも、邸宅の中心部ではなく、一部の施設だと思われますが。
この他に、石敷き遺構や石組溝も検出されています。当初、天武朝と考えられていたようですが、石敷遺構も7世紀前半から中頃とされたようです。ただし、石敷きと石垣が同時に存在したかどうかは分からないそうです。
石敷遺構は、調査区の東端にあり、張り出した尾根の際になります。検出されたのは、長さは9m・幅1.5~3mで、こぶし大の石が敷き詰められていました。山側には、縁取りの石が並べられ、谷側には石組み溝(底に石は無い)が巡っていたようです。また、大型の柱穴8個も検出されました。柱穴は、塀が建てられていた可能性も考えられます。柱穴の時期については、報道では分かりませんでした。
石敷き遺構は、尾根上または尾根に沿って造られた施設の石敷広場とも考えられそうですが、主要施設への通路とも考えられるかも知れませんね。
他の時期のものとしては、7世紀後半の石組み溝が検出されたようです。これまでの調査でも、7世紀を通して遺構が存在しており、何度も改変されながら、この地が活用され続けたことを物語っています。
今回の調査では、たくさんの土器が出土しているようです。報道写真で見る限り、完形の物も出土したようです。ニュースで見た感じだけですが、飛鳥時代の前半の物であったように思いました。
蘇我氏の邸宅は、甘樫丘の全域に広がっていたのではないでしょうか。東麓遺跡は、その一端に触れたように思います。書紀に書かれたことの考古学的な裏づけが目に見えるようになるには、まだ時間が掛かりそうですね。これからの継続調査が、益々楽しみになってきました。
写真は、5月1日時点の石敷きの検出状況です。
甘樫丘東麓遺跡の現地見学会は、21日午前11時から午後3時まで。1時間ごとに解説があるもようです。
現地見学会が益々楽しみになりました。(^^)
甘樫丘東麓遺跡(飛鳥藤原第157次調査)現地見学会の日程が発表されています♪
日 時 :平成21年6月21日(日) 11時~15時 ※小雨 決行
場 所 : 高市郡明日香村大字川原 (国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区内) 発掘調査現場
アクセス:近鉄橿原神宮前駅東出口から奈良交通バス(飛鳥周遊バス)
JR 奈良駅行きバス>(飛鳥) バス停下車 徒歩10分
また、前日の20日にも平城で現地説明会が行われるようです。
・平城第454次発掘調査(中央区第1次大極殿院内庭部)発掘調査の現地説明会
日 時 :平成21年6月20日(土) 説明は午後1時30分~1回おこないます。 ※小雨決行
場 所 :発掘調査現場
報告者 :都城発掘調査部 遺構研究室 研究員 大林 潤氏
アクセス :近鉄 大和西大寺駅北口 から東へ徒歩約20分、
または、JR 奈良駅行きバス 『平城宮跡』下車南へ徒歩5分
※それぞれの現場には駐車場がありません。ご注意下さい。
地図などの詳細は、奈良文化財研究所トピックスをご覧下さい。
飛鳥遊訪マガジンでもお伝えしてきました橿原考古学研究所による飛鳥京跡の現地説明会の日程が決まりました。
飛鳥京跡第161次発掘現地説明会
2月14日(土曜日)10:30~15:30 説明随時 少雨決行
橿原考古学研究所公式サイト
飛鳥京跡第161次調査現地説明会のお知らせ
(2009.2.8. 撮影)
2007年の調査で検出され、飛鳥京北限と目されていた東西大溝を超えた北側に、新たに役所と思われる範囲が広がっていたそうです。
主な遺構は、最低でも東西15m、南北7mに及ぶと見られる7世紀後半の大型建物跡で、幅約45cmの雨落ち溝を伴うことから、建物の南に幅約1・8mの庇があったと思われ、さらに南側から幅約15mの石敷き広場と続いているようです。
(石敷き広場の石の大きさは、橿考研の発表では、砂利となっています。)
(2009.2.8.撮影)
飛鳥京の北限だと目されていた地点の北側に石敷き広場を伴う大型建物跡。ニュースでは、飛鳥京のさらなる広がりなどが報じられていました。
東西石組溝は、前回(飛鳥京跡第157次)の東直線上で検出されているようです。
また、この溝はこのまま伸びると先の掘立柱建物にぶつかってしまうので、南北どちらかに曲がっていると推定できます。