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 奈良県高取町の薩摩遺跡で、奈良時代末(8世紀末)から平安時代初期(9世紀前半)ごろの灌漑用の溜池と、取水用に設けられたと思われる精巧な木組による設備や、この池を設置したと思われる人物名入りの木簡が発見されました。

 木簡は、縦21.5cm、横4.1cmで「波多里長の檜前主寸がこの池を造った。」とあり、「池の完成を祝って神秘的な現象が起きた(神が喜んだ)」とされる内容も含まれているようです。
 波多氏は、現在の高取辺りに居住していた渡来系の氏族になり、「主寸(スグリ)」は、それら氏族を束ねる長に与えられた姓(かばね)だとされています。(「スグリ」は、「村主」とも書かれる場合があります。)
 国司の命令で渡来系氏族がその技術力を振るった結果ではないかということです。

この木簡は、池が完成した際に行われた式典で読み上げられたものと見られ、付近からは銅銭(皇朝十二銭の承和昌宝(835年鋳造)3枚)も出土しているそうです。


 検出された溜池は、南北約90m、東西約40mで、木製の取水施設は、角材をくり抜いた木樋の一部(長さ1.2m、幅0.5m)が池の北側で検出され、水量を調節するための栓の一部も確認されています。

 古代の溜池は、大阪狭山市の狭山池をはじめ数例しかなく極めて貴重なもので、取水施設の構造などは、現在にも通じるものがあるそうです。

遺構や木簡の写真ニュースはこちら 
(すぐにリンク切れになると思います。m(__)m)

今週末の12月14日の午前11時と13時の二回に分けて現地説明会が行われ、
木簡については、同日(14日)に橿原考古学研究所付属博物館にて公開されるそうです。
(ご注意:木簡公開と現地説明会の場所は異なります。)

詳細は、橿原考古学研究所の下記アドレスをご確認下さい。

薩摩遺跡現地説明会および木簡公開のお知らせ
http://www.kashikoken.jp/from-site/2008/satsuma8/satsuma8.pdf
橿原考古学研究所
http://www.kashikoken.jp/

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sP1080378.jpg
(遺構・西から 2008.11.15.撮影)

飛鳥遊訪マガジン36号でご紹介した飛鳥寺南の奈文研の調査区から、寺の南に広がっていた「石敷き広場」の北東隅だと思われる遺構と階段状に構築された石組溝などが検出されたようです。

asukatera-m2.png

今回見つかった遺構は、北辺と東辺にそれぞれ約70cm大の花崗岩を縁石状に施されていたことから、飛鳥寺の南、飛鳥京との間に広がる石敷き広場の北東隅であるとされました。

(石敷き広場の広さは、推定南北20.5m東西65m以上。)

また、その東側には、50~70cm大の花崗岩による石組溝が南北4m分検出されました。
石組溝は、西側が2段、東側が3段の階段状に築かれ、7世紀末頃には埋められたようです。
(東西幅は0.7~2.6m、深さ20~80cm。)
この石組溝を丘陵沿いに想定される南北道路の西側溝と考えると、橋など掛けて、東西に広がる石敷きと南北道路は丁字路であったかもしれないということです。


酒船丘陵の西を走る南北の道から、飛鳥京や飛鳥寺、日本書紀にみえる「飛鳥寺の西の槻の木の広場」、石神遺跡などへと入る重要な場所であったと考えられれるようです。

  飛鳥京外郭北限から飛鳥寺の南門までは、およそ80mほどの空間があります。石敷遺構を含めた広い空間だったようですが、飛鳥寺を南から拝する空間であり、飛鳥寺の威容を見せることを意識した空間であったのかもしれませんね。今回の調査では、その石敷遺構(広場・道路)に接続する道路が発見されたことになります。

飛鳥京の東端を通る道路が飛鳥寺瓦窯のある丘陵にぶつかり、やや西に振れてから再び北上していたのかも知れませんね。この南北道が、この先どのように伸びていたのか、石敷遺構の全体像はどのようなものだったのか、更に興味が増す発掘成果でした。

動画ニュース
 

20081022kashiwara043s.jpg
雨上がりに霞む香具山(08.9.22.) -クリックで拡大-


橿原市にある藤原宮跡でコスモスが先週辺りから見頃を向かえているようです。
来週中は、楽しめそうです。
コスモス畑越しには、大和三山や復元された朝堂院南門の朱の柱が望めます。

コスモスと一緒に秋風に吹かれ、古代へ思いを馳せるのもいいかもしれませんね。
今週末はお天気も良さそうですので、
お出掛けになられるのも良いかもしれません。(^^)

秋雨に濡れる藤原宮跡のコスモス

最古の万葉歌木簡

最古の万葉歌木簡が石神遺跡から出土していたことが判明したようです。

場所は、2003年の第16次発掘調査地。
池状遺構や南北大溝、石敷きなどが出土した地点になります。
付近から出た木簡に「「(己卯(つちのとう)」の木簡があったことから同時代のものと推定され、現時点では、最古の木簡だとされるようです。

サイズは、9.1×5.5cmの厚さ6mm、七文字づつが縦2列

左 阿佐奈伎尓伎也
右 留之良奈に麻久 (に =人偏に尓)

と表記されていました。これを左から読むと万葉集巻7-1391にある
「朝なぎに来寄る白波見まく欲り我はすれども風こそ寄せね」の歌になるそうです。

この木簡は、出土当初は「るしらなくに あさなきにきや」と右から読まれていたそうです。
また、この木簡は一般に知られる墨書きの木簡ではなく、釘などの先の鋭利なもので、木の表面に文字を刻みつける方法で書かれたものです。(刻書といいます)

石神遺跡では、これ以前の第15次発掘調査でも「難波津」の歌の書かれた習書木簡が出土しています。


檜隈遺跡群

檜隈寺跡の東約へ60mのところから規則正しく並んだ6個の柱穴と思われるものが検出されたそうです。
柱穴の規模から、東西約4m、南北1.5m以上の建物があったと推定されるようです。

檜隈寺に関しては、今年の春先に寺跡の北方から小金銅仏の掌が出土したり、先月末には、寺跡の南東尾根上から5棟の建物跡と思われる柱穴が検出され檜隈寺創建に関わった渡来系氏族・檜隈氏関連の建物ではないかと話題になったばかりです。
飛鳥遊訪マガジンの発行周期に合わない情報がありましたので、ブログでお知らせいたします。

2回目の高松塚古墳の石室壁画が、下記予定で一般公開されます。

公開日、11月2~9日
抽選の上、1日約500人(見学時間は10分間)に無料公開。
希望者は、往復はがきで申し込む。1枚で2人まで応募可。

あて先
〒530-8090 郵便事業株式会社大阪支店留め置き 「国宝高松塚古墳壁画修理作業室の一般公開」事務局。
9月19~30日の消印有効。
詳しい応募方法は同事務局(06・6367・1703)。


国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区整備に伴う発掘調査で、
檜隈寺跡の南・約200mの付近で、建物群が見つかったそうです。
東漢氏にかかわる居住地ではないかとのことです。

日 時 : 9月27日(土)  AM:10:00~PM:15:00
場 所 : 於美阿志神社の南方約200m
   (奈良県高市郡明日香村大字桧前地内)

これは、現地見学会になりますので、当日現地での説明はないそうです。



甘樫丘東麓遺跡(飛鳥藤原第151次調査)現地見学会が行われます。
3月29日(土)  13時~16時 小雨決行

奈文研サイトのトピックスで、情報が公開されました。

IMG_2113.jpg
(撮影:3月7日)

待ちに待った情報が公開されました♪
現地見学会とあるのですが、説明はして頂けないのでしょうか?

蘇我蝦夷・入鹿の邸宅かと注目される甘樫丘東麓遺跡です♪
西半分程度しか写っていませんが、それでもかなりの柱穴が見えています。
細長い建物跡の様にも見えますし、塀なのかもしれません。

1e836c6b.jpeg
(撮影:3月7日)

一部に石の集積も見えるのですが、石敷きなのか、昨年のような石垣の一部なのか、
はっきりとは分かりません。
具体的な内容は、報道発表を待たなければいけないのでしょう。
もう少し我慢ですね。(∩.∩)

参考
昨年の甘樫丘東麓遺跡の現説記事。

昨年は飛鳥宮北限と同時に行われた現説。
今年も、飛鳥宮北限も調査が進められています♪ 
こちらも何やら楽しみな予感がします♪

で、その翌日ですが、平城京でも現説が行われます。

平城第429次(東区朝堂院東方官衙地区)発掘調査の現地説明会です。
3月30日(日)
午後1時30分から説明は一回   ※小雨 決行

詳しくは、奈文研サイトのトピックスへ♪


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